豊中ジャズコーラス倶楽部

ずっと憧れていたマンハッタン・トランスファー

僕は今年57才になりましたが、僕が中学生の頃に石橋の阪大坂に「黎紅堂」という貸しレコード店がオープンしました。

それまでは高価で数か月に一枚しか買えなかったLPレコードが数百円で聴けるようになったことは、まさに革命が起こったように感じたのを覚えています。

折しもその時代は「フュージョン・ブーム」。それまで僕はベイ・シティ・ローラーズやキッスなどのロックを聴いていました。そんなとき、ちょっと音楽通な友人と貸レコード店の店内で会いました。

彼が持っていたアルバムは「スパイロ・ジャイラ」「ウェザー・リポート」「スタッフ」「リー・リトナー」「ラリー・カールトン」「クルセイダーズ」などのその頃一世を風靡していたジャズ・フュージョン・グループばかりだったのです。

そういった音楽を聴くその友人を「なんかかっこいいな」と思い、そこからジャズやフュージョンのアルバムを聴くようになったのですが、僕はどうしても「歌もの」が好きです。ある日、その彼に「なんか歌のかっこいいやつ教えてくれないか」と頼んだところ「マンハッタン・トランスファー」を勧めてくれたのでした。

はじめて彼らのアルバムを聴いた時の衝撃は、いまでもはっきり覚えています。

そして数年がたち、今度は「スターズ・オン45」というリミックスのユニットが大ヒットを飛ばしました。これはビートルズやローリング・ストーンズ、アバなどの曲をディスコで踊れるようにメドレーとしてつなぎ合わせたものでしたが、その中でもひときわ大ヒットとなったのが「スター・シスターズ・メドレー」という曲でした。これは戦時中にアメリカで流行った「アンドリュース・シスターズ」の曲をメドレー化したもので、グレン・ミラー楽団の名曲に歌詞とコーラスが付いた形でそれはそれはかっこよくて、また僕の「コーラス大好き熱」に火が付きました。

あれから30数年が経ちましたが、やはり青春時代に思いきり感性にヒットしたものは永遠のあこがれなんだと思います。

ゴスペルを30代でやり始めて本格的にコーラスというものに向き合い、ついには仕事にしてしまった僕の心の中には「マントラ」や「アンドリュース・シスターズ」はずっと「片思いの相手」のような存在になっていました。そして今その思いをプロデュースと言う形で実現しようとしています。

グループ名 Route 176 の由来

大阪在住の方ならほとんどの人が分かると思います。大阪のど真ん中、梅田新道の交差点から始まり、豊中、池田、宝塚などのいわゆる北摂を縦断し、最終的には福知山から京都府宮津(完全に日本海です)まで続く国道176号線、通称「いなろく」です。

僕たちがレパートリーとするアメリカン・スタンダード・ナンバー「Route 66」という超有名な歌があります。

グループ名を考える際に、大阪府豊中市発足の僕たちのグループは、スタジオの目の前を通る「いなろく」を名前にしたいな~と思いました。ですので読み方としては「ルートいなろく」が正式名称です。

上手くなりたいとは思っていますが、そのために歌っているわけではありません。 参加資格はジャズ・コーラス特有の「膨大な歌詞」に向き合えるやる気と、月2回の練習にできる限り参加していただける「意欲」だけ! そして年数回、大阪北浜のホテルなどで歌わせてもらっています。

ジャズ・コーラス・グループの紹介

「ジャズ・コーラス・グループといえば?」という質問に、パッと頭に思い浮かべるグループは、きっと世代によって異なると思いますが、僕の場合はやはり「The Manhattan Transfer(通称マントラ)」でしょう。

1980年代の10年間で幾度となくグラミー賞を受賞し、日本のテレビCMにも出演していた大スターです。

それでは簡単ではありますが、一世を風靡したジャズ・コーラスの代表的なグループをいくつかご紹介します。

ボスウェル・シスターズ

まず初めにご紹介するのは、最初にジャズ・コーラスをレコーディングしたと言われるニューオリンズ出身の「ボスウェル・シスターズ」です。元々は全員が楽器をやっていたそうですが、歌の方が注目されました。かの有名なエラ・フィッツジェラルドは、三姉妹のうちの一人、コーニー・ボスウェルに憧れ「彼女のように歌うことを目標とした」と後のインタビューで語っています。

ミルス・ブラザーズ

1870年代、散髪屋さんは髪を整えるだけでなく一般大衆の交流の場としての役割もありました。そこで働く歌自慢の黒人たちによる出し物として生まれた四重唱のコーラスは黒人だけでなく白人にも大いに気に入られ、後にバーバーショップ・コーラス・スタイルと呼ばれました、ミルス・ブラザーズはそのスタイルの草分け的な存在です。

アンドリューズ・シスターズ

世界中を混乱させた第二次世界大戦が始まったころ、ボスウェル・シンガーズに台頭して大スターとなったのがミネソタ州ミネアポリス出身の「アンドリューズ・シスターズ」です。1937年に発表した「Bei Mir Bist Du Schon」(邦題:素敵なあなた)は、発売一か月で35万枚をセールスしました。その後も「Boogie Woogie Bugle Boy」など多くのヒット曲を量産しています。第二次大戦中の戦地慰問や、アボット&コステロ、ビング・クロスビーなどと映画で共演するなど幅広い活動で全世界を魅了しました。

マンハッタン・トランスファー

1969年に故ティム・ハウザーを中心にニューヨークで結成されたスーパー・グループです。彼らの人気を決定づけたのは1979年発表のアルバム「Extentions」。アメリカの人気TV番組「トワイライト・ゾーン」のテーマや、ウェザー・リポートの代表曲「バードランド」などを収録したこのアルバムはグラミー2冠を獲得。その後も80年代はアルバムを発表するごとにグラミーを獲得する勢いでした。ヴォーカリーズというスタイルをジャズファンだけでなくジャンルを超えて、世界中の人々に知らしめた功績は偉大としか言いようがありません。
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